人形町末広 圓生独演会の落語CDブックを買うならココ!

最後の畳敷き落語定席である「人形町末広」での六代目三遊亭圓生の落語CDブックを手に入れるにはここ!

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「芸」とは体力やアイデアを最大に活用していくことで名人への坂を上がって
行くそうです。

それが格言である「芸は上り坂を聴け!」ということになるのでしょうね。


六代目三遊亭圓生は人形町末廣での圓生独演会に全てを賭けて主催していたそうです。

もちろんネタも大作を次々と演じていきます。


こんな伝説的な話にも残っています。


ある日の独演会で圓生が1時間以上の大作を演じ終えた後に桟敷を見ると、
開場を埋め尽くした満員の客席の後ろが空席になっていた。

だがよく見るとお客さんは減っていない。



これは会場のお客さんが圓生の噺の迫力に引きずり込まれて、知らぬ間に高座に近づいて
しまっていたために会場の後ろが空いていたように見えたいうことでした。


これは圓生の体力やアイデアだけでなく、迫力や話術、魅力がなせる業ですね。

そして圓生自身が上り坂を上がるだけでなく、お客さんまでもが口座へと席の坂を
上がっていくという現象が起こった「人形町末廣の圓生独演会」、ぜひその場で
生で見てみたかったと思います。

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六代目三遊亭圓生さんの活動年表を時代別にまとめました。


【明治時代】
1900年(明治33年:0歳) 大阪市西区花園町に生まれる
1905年(明治38年:5歳) 豊竹豆仮名太夫の名で子供義太夫として初舞台を踏む
1909年(明治42年:9歳) 6月または7月に落語家へ転向
               4代目橘家圓蔵に弟子入りして二つ目でデビュー
             高座名を「橘家圓童」と名乗る


【大正時代】



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<三遊亭圓生の急死したために開かれなかった口演のポスター>
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三遊亭圓生「人形町末廣 圓生独演会」も後半8枚のダイジェストのご紹介です。


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【CD9】

大名房五郎 1963/12/28 56'44"(初商品化された音源)

   宇野信夫の書き下ろした作品を圓生が初演した時の作品
   大工棟梁と質屋の2人が「掛け軸」をめぐっての応酬をする

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六代目三遊亭圓生さんの「人形町末廣 圓生独演会」のCDは、全16枚(23席)による
とても聞きごたえのある収録内容となっています。


その話の内容をダイジェストでご紹介していきます。


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【CD1】

双蝶々 上・中 1961/12/28  55'56"
   
   圓生が繰り返し演じた人情噺
   母親の愛情に飢えた主人公が義母に反抗する幼少期の噺

   「上~中」の内容が「下」への伏線となってくる

   存在する人形町末廣独演会では最古の音源


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6代目三遊亭圓生

  出身は大阪市だが長年、柏木(現東京都新宿区北新宿)に住んでいたことから
  「柏木の圓生」と言われていた。
  六代目三遊亭圓生を襲名する前は六代目橘家圓蔵。
  本名は山崎松尾。

【生年月日】 1900年 9月3日
【没年月日】 1979年 9月3日(79歳)
【出身地】  大阪府大阪市西区
【師匠】   四代目橘家圓蔵
【名跡】   1. 橘家圓童(1909年 - 1916年)
       2. 橘家小圓蔵(1916年 - 1920年)
       3. 五代目橘家圓好(1920年 - 1922年)
       4. 四代目三遊亭圓窓(1922年 - 1925年)
       5. 六代目橘家圓蔵(1925年 - 1941年)
       6. 六代目三遊亭圓生(1941年 - 1979年)

江戸末期から明治初期の芸人達が使った「〜げす」「〜がす」「〜やす」といった言葉を、
日常的に使って話した最後の噺家と言われている。

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